headless 曰く、
17 世紀初めに Alimberto Mauri という偽名で書かれた 1604 年の超新星に関する論文「Considerazioni Astronomiche (天文学的な考察)」の著者がガリレオ・ガリレイであると確認されたそうだ
(カフォスカリ大学のニュース記事、
Ars Technica の記事、
Medievalists.net の記事)。この論文は長年にわたって偽名で書かれたと考えられており、出版当時からガリレオの偽名だと考える人がいた。しかし、これが証明されることはなく、唯一の証拠と考えられていたガリレオの署名入りの手紙が最近の研究で偽者と判定されてしまう。
ところが、これまで重要ではないと考えられていたガリレオのメモの中から証拠が見つかることになる。このメモはフィレンツェ国立中央図書館に収蔵されていたもので、さまざまな時期にさまざまな研究テーマについて書かれたメモを集めたものだ。メモに含まれる 1604 年の超新星に関する論文の手書き草稿は、ロドヴィーコ・デッレ・コロンべの著書に反対するためにガリレオが書いたものだと確認されているが、公式のガリレオ著作集に含めるほど重要ではないとみなされ、出版もされていなかった。
このメモの 31 ページ目には「デッレ・コロンべが私(ガリレオ)について軽蔑を込めて語った場所」というリストがあり、デッレ・コロンべの論文「Risposte (回答集)」内の場所を示している。しかし、この論文は Considerazioni Astronomiche に反論する内容で、ガリレオには一切触れていない。そのため、ガリレオは偽名で執筆したにもかかわらず、Alimberto Mauri への批判を自分への批判として受け取り、自ら著者であることをメモの中で明かしたと考えられる。
偽名で論文を執筆した理由として、地政学的リスクを避けようとしたという説が有力なようだ。当時ガリレオはヴェネツィア共和国のパドゥアで仕事に成功していたが、収入は不足していたという。そのためローマで後援者を探すため論文を執筆したのだが、ローマ教皇庁とベネツィアが対立していたため偽名を使ったとのことだ。
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Source: スラッシュドット